改善の余地があると思って案を出すと、似たような案が既に出ていることは多い。残された資料の詳細を読むと、多くの資料と共に、「コストやリスクのわりにリターンが少ない。だから、出来ない、もしくは、やらない」と結ばれている。

 

出来ない理由が過分な程に語られるのに対して、「どうすれば出来るのか」が詳細に書かれている資料や意見は、滅多に見かけない。

 

そりゃそうだ。現状、出来るの見込みがあれば、何らかの形で改善努力がなされているだろう。見込みがないからこそ、着手しなかった理由を書いて資料に残すのだ。

 

資料に集約された負の意見は束となり、如何に自分の考えが幼稚で未熟なものであるかを雄弁に語る。改善をなすためには、他の人が試していない試行を、成功するまで繰り返すしかない訳だ。僕はたいてい、その途中で折れてきた。

 

理由は簡単なもので、「コストに見合うだけの成果が得られるとは限らない」からだ。

 

思考回路が短絡的で、支払ったコストの回収がすぐにできなければ、萎えてしまう。「かもしれない」、という事や、「長い目で見れば、回収できる」という考え方が非常に苦手だ。コンビニのように、金を出せばすぐに商品が手に入る、とか、通販のように金を出したら数日で品物が来る、という状態こそを僕は望んでいる。

 

コストを支払ったからには、見合ったメリットを即座に享受したいのだ。僕がギャンブルが嫌いな理由もここにあるのだろう。

 

メリットが即座に得られないと判断すると、僕は途端に興味をなくす。それはもう、とことんなくす。切り捨てる。三年かけて収集していたものだろうが、十万欠けて作り上げたデータだろうが、途端に、だ。いらないと判断した理由は。大小入り混じった山となり、僕は登頂をあきらめる。これを繰り返した結果、今のような無気力な状態に落ち至った。

 

さて、話を変えよう。最近、地と考え方を変えて、「試していないことを試す」ということを取り組んでいる。いつもと違う場所に行く。今までやってこなかったことを、やってみる。今日など、衝動的に熊野古道旅行に申し込んで、Ipadを買ってしまった。

 

いつもは入らないようなパン屋に入り、食べたことのないパンを食べる。昔やっていた面白かったことを行い、結果がどうなろうと笑い飛ばしてみる。そうして過ごした毎日は、思いのほか悪いものではなかった。金が10万ほどぶっ飛んだが、まぁ、何とかなるだろう。

 

果たしてこの気分の良さは、散財から来たのだろうか。いや、僕は違うと思う。きっと、今日行った行動の、どれかが楽しかったのだ。否、結果はどうあれ、どれも楽しかったのだ。

 

僕は今日たくさんの失敗をして、少しの成功をした。成功したときのうれしさは、バカみたいな失敗の中でも、輝きを失せさせずに爛々と光を振りまいている。

 

もう少し、やってみようと思う。ようやく僕は、僕を改善する決心がついたようだ。